2011/01/21

KH

ひとのあらゆる傲慢は、自分が生きている、という思い上がりからくるものだろう。

ひとつの「生」は他の無数の「生」によって生かされているという思いがひとの生活の中に常にあるならば、ひとは他のいのちをけちらして生きることに苦痛を覚えるはずである。